それって「毒親」なんじゃない?

これが毒親育ちの全てです

ホームレス生活

 

 

こんにちは。干物紐乃です。

今日からは前々回に引き続き、私の過去について自分と向き合いながら書いていきたいと思います。

 

 

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Dちゃんは私が朝早くに家を出るとき、

「今日はどうするの?一泊で大丈夫なの?」

と声をかけてくれました。

私は「全然大丈夫じゃないの、これから泊まるところを探さないといけないし、どこにいけばいいのかもわからない、お金も全然ないし、どうしたらいいんだろう、暫く泊めさせて貰えないかな」と言いたいところを耐えて「大丈夫!今日は家に帰るから!本当にありがとね!」と元気にDちゃんの家を後にしました。

 

 

いくら携帯を確認しても親からの連絡なんてあるわけもなく、少しでも何処に泊まってるかとかご飯は食べてるのかとか思ってくれてるのかなと期待していた自分が馬鹿だったと、余計悲しくなりました。

 

 

この後も一人暮らしをしている知り合いの子に事情を説明し家に泊まらせて貰えないかと必死に連絡しました。

 

本当にありがたい事に、私の急な連絡にも関わらず快く受け入れてくれたり、私が家出しているという噂を聞き、わざわざ私に「泊まる所が無かったらいつでもうちの家来てよ!」と連絡してくれた子もいました。この時ほど友達に感謝したことは今までにありません。私だったらこんなにすんなりと受け止められただろうか。

どれだけ迷惑をかけたか。

 

本当に、本当に、ありがとう。

 

 

友達が予定があり泊まる場所がなかった時は実家の近くのネカフェで寝泊まりか、マックでホームレスと同じように寝ながら朝まで過ごし、朝父が仕事へ行ったであろう時間を予測してこっそり家に戻りシャワーを浴びて着替えをしたり、洗濯をしたりするコソコソした生活をしていました。

 

ネカフェは防犯の関係で天井が隣部屋とつながっており、ドアも上部が透明で中が見えるようになっていました。隣の部屋から男性の如何わしい音が聞こえてきたり、透明な部分から男性2人が中を覗いてきて目が合った時は本当に怖かった。怖さで睡眠も十分取れず、毎日寝不足でした。

 

 

家出をして3日後、母からいつ戻ってくるのか、早く父に謝りに来なさいというメールがありました。

 

 

 

無視しました。

 

 

 

悲しい。悔しい。誰からも心配して貰えない。

私は本当にこの親から生まれたのか。

 

私がどこで何してようが、みんなには関係ないんだ…

 

この時は色々な感情で頭が混乱していました。

ここから徐々に「親」というものに疑問が浮かぶようになりました。

 

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かれこれ4年ほど月日は経ちますが、まだ過去を振り返ると当時の辛かった記憶が呼び戻され、心が締め付けられるような痛みが走ります。

当時の私のように毎日親に悩まされ苦しんでいる方が、少しでも救われますように。