それって「毒親」なんじゃない?

これが毒親育ちの全てです

誰が主人公なのか

 

こんにちは。干物紐乃です。

みなさんいかがお過ごしですか。

 

私は5月に仕事を辞めてから、ぐうたらして過ごしています。

 

転職活動はというと、ハローワークで求人の申請をしたり、転職サイトで何社か応募してみたり地道にやってみてはいるものの、就業経験が一年なので募集要項にそぐわず、WEB応募だけで落とされてしまったりと、やるせない思いを感じています。

 

仕事を探すにあたって、「せっかく前職で資格を取ったからそれを活かしたいな」「土日休みなら友達とも予定を合わせられるかな(片指が余るくらいの友達しかいないけど)」「残業はあまりしたくないな」「年間休日は120日くらいは欲しいな」「でも私が希望する業界は土日休みはおろか、年間休日は100日前後が妥当なのかな」と、どんどん欲が出てきてしまい軸がぶれぶれで、応募したいという気持ちがなくなってしまい、路頭に迷ってます。

 

この1ヶ月、2回ほど面接に行ってきましたが、普段引きこもっていて人と話す機会がないのと、頭の弱さが出てしまい、お祈りされ続けています。困ったものですね(他人事感)

自分が行きたい業界を諦めた方がいいのかもしれないという気持ちも大きくなってきました。

 

 

先日、ある会社の面接に行ってきました。父がお休みの日だったので、私がスーツで出かけるところを見たのか、面接から帰ってくると、

 

「今日は面接か?なんちゅーとこや。その業界では有名なとこなんやろな。何回くらい面接すんねん。」

 

と、事情聴取かのように細かく聞かれます。

 

小さい無名なとこは絶対あかんで。100%ブラックやからな」

「なんでもいいと思って変なとこ応募すなよ。お前が行きたい業界、やりたい仕事のとこちゃんと見つけろ」

 

言っていることはごもっともだと思うし親が心配する気持ちはわからなくはないけど、私は父のこの台詞で

 

「こんなとこ応募してるって言ったらまたあかんって言われるかな」

「やりたいって言ってたこととちゃうやんって言われるんだろうな」

 

と何かに囚われたような、監視されているかのような気持ちになります。

 

自分の人生は自分で決めるんだし自分が生きて行くんだから、親の言うことなんて無視すればいいのに

 

そうみんなが思っていると思います。

 

でも、それでは生きていけないのが私の家です。

前職へ就職した時も、働いてくたくたになって帰ってきた私に、

「仕事で疲れたことと家のことを同じにするな。家に疲れたって言う気持ちを持ってくるな。辛いっていうのは最初からわかってたやろ。その上でお前が決めたんや。辛いんやったら新卒の時に真面目に就活しなかった自分を恨むんやな」と事あるごとに言われていました。

 

労いの言葉をかけられたることは一度もなく、私の会社がいかにブラックか、私の仕事の帰りや休みが不安定なせいでどんだけこっちが迷惑掛かっているのかという言葉を降り注がれました。

 

自分が働きたい業界で、毒父も納得するような仕事

 

最近これが仕事探しの軸になっている気がします。

ただでさえ第二新卒で需要もないのに、ブランクもあるのに、需要なんてあるのか。

 

日々頭を抱えています。

そしてこんな悩みを考えたくないから結局いつもYouTubeみたりして気を紛らしています。

 

一つわかっていることは、父のことだから、私が働き出したらどんなことにでもいちゃもんをつけて文句を言ってくるということ

まずは一人暮らしをするために、どんな所でもいいから就職してみようか…

こんなことを考えながら今日もまたボーッとして1日を過ごす紐乃でした。

就活に及ぼす家庭環境

 

こんにちは。干物紐乃です。

つい先日、契約社員として雇ってもらった会社を辞めてきました。

絶賛転職中なので、就活について振り返ろうかな。

 

大学の時にしていたカフェのアルバイトが、人間関係もよく店長も気さくな人で、かつ時給もよく夜も20時閉店というとてもいい待遇だったため、とても楽しく、接客自体も苦にならず顔見知りのお客さんが出来るくらい続けられた。

その経験をもとに接客業を続けようかなと思い(オフィスの仕事ができるような能力や資格や知能が皆無だったのもある)サービス業を中心に仕事を探していた。

新卒で就活を始めた頃は親から実家を追い出されており(のちのちブログに書こうとは思っています…)、自分の好きな仕事を見つけて面接を受けていた。無事内定をもらったけど、夏休みの研修

で役員の女性から同期がたくさん集まっている前で、

 

「干物が一番同期の中で目立たない。全然積極的じゃない。こんなんじゃ同期にどんどん差をつけられるよ?せっかくウチの会社受かるだけの能力があるんだからもっと前に出なきゃダメ!ウチの会社にいても意味ない!」

 

と大声で言われてしまい、その時の空気と役員の女性に耐えきれず即刻で内定辞退した。

積極的にと言われても、生まれてこのかた叱られるがまま、怒鳴られるがままに生きて来たんだから私にできるわけがないでしょ。

 

内定辞退が8月の出来事だったので、そこから就活再スタート。

役員に言われた一言でかなりトラウマになり、面接に行くと考えるだけで吐き気がした。なので面接ブッチ常習犯になってしまった。(最低)

その頃ちょうど父からも実家へ戻るよう脅迫メールが毎日のように来て、当時の私は今よりも精神が不安定で毎日何時間も泣いたり発作が起こったりした。

実家へ強制送還されてから毎日父に就活の進行状況を聞かれたり、何の意味があったのか、今まで受けた企業名と合否を一覧にするよう謎の作業を命令されたり、志望している業界を全否定されたりして、余計就活をする気が無くなってしまった。

私が志望している業界が契約社員での募集が多いため、契約社員で職に就きたいことを伝えるとまた激怒。幸い中堅で割と名の知られた会社の契約社員を募集していたので、父には正社員募集だと嘘をついて面接を受け、採用された。

 

今まで育って来た環境のせいか、自分の意思を持って何かに取り組んだのって中学生くらいまでだったと思う。(それまでも周りの友達の家庭に比べるとおかしい規制は多くあった)高校になってから部活や友達と遊ぶ時間が増えるようになって、ますます人格否定をされたり趣味を取り上げられたり友達と縁を切られたれたり、強制終了させられた。

 

今回仕事を辞めるきっかけになったのも、職場の人間や会社自体が不景気で不安定だったという理由の他に、サービス業が故の不規則な休みや、土日出勤による父の文句を1年間毎日のように聞いて来て、ただでさえ少ない休みも全て家事で追われるようになったから。休みが取りやすく残業が少ない会社に入らなければ私の時間が全く取れない。今の接客業を活かしながら土日休みで残業がない会社なんて、今の日本にはないか。

 

転職したって、父が文句を言うのには変わらないし。

 

今日もまた朝から父にハローワークへ行けと催促される干物ちゃんでした。

家族旅行のトラウマ

 

お久しぶりです。干物紐乃です。

 

 

(このブログは私の毒を浄化する目的と、同じような環境で育った(育てられている)方に仲間がいることを知って頂きたく書いているので、ネガティブログになります悪しからず。。)

 

GW最終日、みなさんどのように過ごされたのでしょうか。

 

私は接客業なので世間がお休みの日は毎回お仕事でした。

家族連れやカップル、お友達同士でどこかへ出掛けるんだろうなという人をたくさん見かけました。みんな楽しそうな笑顔ですね。とても羨ましいです。

GW中は朝の通勤ラッシュも無く、スーツを着ている人も少なく、喫煙所の人も少なく、完全に世間からはぶられてましたね。みんな旅行にでも行ってたのでしょうね…

GWに限らずただのお休みの日でさえ友達からも連絡がこない可哀想な干物ちゃん。同じような立場の方はこのブログを見てる方の中にいらっしゃるでしょうか。

 

旅行といえば、昔は家族旅行を何回かした記憶があります。

ハワイ、熊本、北海道、箱根…

行った場所は覚えてるのに、何が楽しかったか、という記憶が全くない。

特にハワイの時は6泊7日も家族と過ごさなければいけなかったのと、当時所属していた部活の大会本番の日程と被っていたのに無理やり辞退させられ、それについてかなり親ともめ、友達にも嫌味を言われたりと、散々でした。

 

昔から部活の練習だろうと大会本番であろうと模試であろうと試験日であろうと、

 

家の用事が最優先、理由が何であろうと有無を言わさない

 

家族以上に大事なものがあるなら言ってみろ、その代わりもう二度と家に入るな

 

と脅迫されていました。もちろん他の兄弟にも。

反抗したらこちらが折れて言うことを聞くまで晩御飯抜き父の前に姿を現してはいけないなどの罰を与えられました。

 

その時のハワイも当然この流れ。

そしてとばっちりで、家族旅行よりも部活を優先させるような娘を叱らず放っておいたとして母も父から怒鳴られ…振り返るといつも母とセットで怒られてるな。

 

部活の顧問に理由を話し、先生から部長へ、そして部員に広まっていき、

私の代わりに後輩を出場させることになった。1年に一度しかない大会へ向けてみんなと毎日頑張って練習して来たのにその努力が水の泡になった。なのにその後も出る予定のない大会の練習を毎日していて、やり場のない怒りと悔しさでいっぱいだった。

 

女の割合が多かったのでネチネチ系が多く、陰口叩かれ部員に冷たくされ、話も混ぜてもらえなくなった。

 

紐乃、ハワイ行くから大会でないらしいよ、やばくない?やめちゃえばいいのに

 

廊下の角を曲がろう直前で聞こえた部員の話し声がとても辛かった…

 

そんなことがあってからのハワイ。楽しくなる予兆がなかった。

家族みんなが父の気分で無理やり連れて行かされたので、いろんな観光スポットへ行っても写真を撮っても、全然笑顔になれなかった。みんな顔が引きつっていたのが手に取るようにわかった。

 

流石に写真を見て気がついたのか、

 

せっかく連れてきてやってるのにその顔はなんや!!楽しそうにせんか!!お前らは笑顔もピースも知らんのか!!

 

とまた怒鳴る。

ついに楽しく振る舞うことを強要してきた…

この人、なんでこんなにみんなが笑顔になれないのかとか、考える力ないのだろうか。

それは今も同じようなことが言えるけど。

 

…あ、書いてて思い出したけど、ハワイで父に怒鳴られ、ホテル内で母兄妹弟を代表して、

土下座したんだったよな。あれ、何で怒られて土下座する羽目になったんだっけ。

 

 

友達と旅行というものに行ったことがないから、友達とちゃんと心から笑顔になれる旅行に行きたいな〜。友達がそもそもかた指全部折れるほどいないけどね!!

 

 

それは甘えだ

 

 

前回の続き。

 

父に私がどれだけ悪いことをしてきたか、根っからの性格がどれだけひん曲がっているか、どれだけ自己中かなど、理不尽な説教を延々と聞かされた私は、ストレスと貧血から目の前が真っ白になり、床に倒れこんでしまいました。

 

さすがに私が倒れこんで慌てた父。…と思ったのも束の間。

 

お水を飲んでしばらく休んだ後、

 

どれだけ反省したか、自分の言葉で言ってみろ

 

…出た、あくまでも父の意志ではなく自分の意志で謝罪させて、無理やり自己責任を押し付けるやつ…

 

私は仕方なく話しました。

 

「今回は私のせいで家族全員に迷惑を掛け、お母さんにまで嘘をつかせてしまいました。自分のしたいことしか考えず、自分のしたいことを実行するために嘘をつきました。みんなに甘えていました。本当に申し訳ありませんでした。

お父さんから椅子を投げられそうになった時は、本当に死ぬと思いました。むしろ、ぶつけられて死んで仕舞えばいいとさえ思いました。それと同時に、自分はどれだけ悪いことをしたのだろうととても反省しました父や母をこんな風にしたのは私の甘えのせいです。本当にすみませんでした」

 

椅子を投げられそうになったくだりは本音ですが、その他の言葉は父が散々私に言ってきた言葉です。

 

自分のしたいことしか考えない

 

そのためには他を犠牲にしても構わない

 

親に甘えているだけだ

 

父が言って欲しそうな言葉を並べただけ。

 

でもそれを聞いた父は、

「その言葉は本気やな。もうその男とは別れろ。女をこんな風にする男なんてろくな奴じゃない。お前がお父さんから椅子を投げられそうになった時のその気持ちがお前の本当の、心の底からの気持ちだ。その気持ちに嘘はない。

自分がいかに周りに甘えっぱなしで迷惑を掛けているかよく考えて行動しろ

 

そう言われ、父からこれで今回の話は終わりという合図のビンタを喰らい、父と母に土下座して謝り、やっとの事で、今回の事件は幕を閉じました。

 

私的には全く納得いってなかったですが、怒られることの体力が限界だったので、父に従いました。

 

これを機に、私は男性と付き合うことがこの家ではルール違反なんだ、この家でこの親がいてここに住んでいる限り、彼氏なんてできないんだ、と自分に言い聞かせていました。

 

言い聞かせすぎてしまったせいで、今も好きな人を作るのが怖いし、作ってはいけないと自分を抑え込むし、実際出来てしまったら父が絶対黙っているはずがなく面倒なので、自分から境界線を作っています。

 

 

まともな恋愛をしたいです。

父に干渉されず、家族から暖かく迎えられ、家族に紹介できるような彼が出来る日が来ることを願って…

その前に友達がいないんですけどね。

友達100人出来てたらなぁ

それ以前に自分の意志で行動を決めるという人間らしい生活を手に入れることを目指さなきゃ。

 

人間なのに人間らしくない。

 

真っ暗で真っ白な景色

 

またまた「物置での生活」の続き。

 

前回は私が家を追い出された際の元彼のストーカーっぷりを書かせて頂きました。

 

本題に戻りまして…

再び家を追い出された私と母は、流石にこの先車庫の奥一角にある物置で生活するのは身体にも悪いということで、母がウィークリーマンションを借りてくれました。

暖かい布団で眠るって本当に幸せだなぁと噛み締めた記憶があります。

 

私たちが家を追い出されてから、母が都内で一人暮らししていた私の兄に今までのことを相談していたそうで、ウィークリーマンションに兄を招き(?)、3人でお話しました。

 

話し合いというよりかは、

 

なんで私だけ部活も反対されるし、門限もあるし、文化部(吹奏楽部でした)だからってお小遣い減らされたり差別されなきゃいけないんだ!!

 

お父さんは私にだけ厳しすぎる!!

 

お兄ちゃんは一人暮らしして好きな暮らしして彼女も勝手に作ってるのに!!

 

という事を私が喚いたり、

 

紐乃に制約ばかりあって可哀想

 

紐乃がまた怒られると思ったからお父さんに嘘をついちゃったの

 

お父さんには何を話しても怒られるし怒鳴られるから怖くて本音が言えない

 

と母が嘆いたりしていました(話し合いじゃない)。

 

兄は兄で、自分より私の方が父から厳しくされているのを感じており、今回のことや今までの不満を、家に行って父と話をしてくれました。

 

父は父で言い分があり、

 

「どうして嘘をつかないと会うこともできないような男と付き合ってるんだ」

 

「俺は家族から嘘をつかれて誰も信用できない」

 

私だけ?は?そんなのは甘えだ、怖くて本音を言えない?こんな嘘ついている奴がそんなことぬかせるのか?

 

と言っていたそうです。

 

今振り返ると、全員が全員自分のことしか考えてないんですよね。そりゃ家族上手くいかないよな…

 

ウィークリーマンション生活が2週間経ち、そろそろまた父のもとへ謝りに行こう、話をしようとなりました。

しっかり父の休みの日を伺い、謝らせてくださいとお願いをしてから家へ向かいました。

 

 

いつものことですが、話をするというよりかは、父から一方的に

お前はこれだけ悪い事をした。どうしたらお前のこの悪の根源が治るのか。治るようにするために○○(罰)をさせる(もしくは熱中しているものをやめさせる)」

と話をされます。

そして最後に「どれだけ反省しているか文章にして話してみろ」と言われ、父が私に対してこんだけ悪い奴なんだっていうのを私の言葉で繰り返すだけの作業。

 

私の話を聞かないで全部こっちが悪いって決めるんだ、なんで好きなことをすると毎回怒られるんだ、今までも男友達を紹介しただけでとやかく言ってきたくせに彼氏がいるなんて言えるか、お父さんなんかいなければもっと楽しく生活できたのに、などと不満で一杯になっている時、

 

 

目の前が真っ白になりました。

 

 

足の力が全部無くなり、スローモーションのように景色が移り変わり、その場に倒れ込んで、しばらく目も開けられなくなりました。

 

 

今まで怒られても怒鳴られてもこんな経験なかったので、ビックリした反面、あ、これが倒れるってことなのかと、冷静になっている自分もいました。

 

今のところ最初で最後の経験なので、よっぽどストレスでやられていたのだなと思います。

 

またまた続く…

 

粘着ストーカー

 

 

前回の「物置での生活」の続き。

 

元彼と会うために嘘をつき父から家を追い出され、話し合いをしようとしたけど怒り狂われてしまい、またまた追い出されてしまったところまで書きました。

 

 

今回は父との話から逸れますが、家出の一要因でもある元彼のお話。

 

 

元彼はかなりストーカー気質で、粘着タイプの人間でした。

 

 

私が家を追い出され物置で生活している時、外から若い男女(学生らしき人)グループのひそひそ声が聞こえてきたことがありました。

物置は車庫の奥一角にあったので、道路からは結構距離があり、向こうは私には気づいていませんでしたが、あからさまに家の中の様子を伺っているようでした。

 

その時は「やばい、夜中にこんな物置に電気がついてるなんておかしい、人が居るとか言われてるのかな」なんて思っていました。

 

しかし、後日妹から聞いた話によると、その男女グループのうち、女子がインターホンを鳴らし、「紐乃ちゃんいますか?」と聞いてきたそうです。

 

その女子は私の小中学校の同級生でした。かといって小学生の時に私の家で数回遊んだだけで中学で特別仲は良くなかったし、高校に上がってから一度も会わず連絡も取らずの人でした。

 

 

またまた後日、私に元彼のことを紹介してきた高校の友達から聞いた話ですが、私の小中同級生の彼氏が私の元彼と中高の同級生で仲が良く、元彼が学校で私と連絡が取れないと相談していたみたいです。

 

多分色んな人に相談していたのだと思いますが、たまたまその子の彼女が、私の中学の同級生で、私に接触するよう頼んだそうです。

 

携帯を取られてしまったため元彼にも何も告げず、急に連絡を絶ち会えなくなってしまったので、申し訳ない気持ちはもちろんありました。ですが友達を使って夜に家まで押しかけてきてくるとは…

 

ストーカーエピソードはこれだけではありません。

全部妹から聞いたので直接被害はなかったのですが、元彼が昼間に何回も家へ押しかけてきてインターホンを鳴らし、

 

「紐乃ちゃんはいますか?いつ帰ってきますか?会わせてください」

 

と言ってきたり、家の外から大声で

 

「紐乃ーー!!いるんだろー!?話だけでもしたいんだ!!」

 

と叫んで来たり、妹と携帯を共有で使用していたので、妹宛に長文で私の居場所を聞いたり、何故か私との出会いやデートのエピソードなどをメールで送ってきたそうです。

ごめん妹…そして想像するだけで鳥肌が立つ…

 

 

たまたまある日元彼がインターホンを鳴らした日に父が出て、怒鳴ってくれたらしいのでその後はそういうことはなくなったので良かったですが、初めての彼氏との思い出があまりにも最悪だったので、消し去りたい黒歴史ですね。

 

なぜこうも私の周りにはおかしな人が多いのでしょうか。みなさんの周りにもこのようなストーカー気質な人はいますか?

 

物置での生活

 

高校生の時、初めて彼氏が出来ました。

その人は違う高校で、私と同じ高校に通う友達の知り合いでした。

向こうが私の友達に「誰か女子紹介して〜」と言ったのがきっかけでメールするようになり、付き合うようになりました。

その人を好きになったというよりかは、付き合うことに憧れていたので付き合ったって感じでした。(浅はか)

 

付き合った期間は4ヶ月ほどだったと思います。

その元彼は毎日会いたい、ずっと一緒にいたいというタイプの人で、

私は親が厳しいながらも、部活と嘘をついて休みの日に遊んだり、

部活本番前だからと言って遅くまで一緒にいたりしました。

母には彼氏が出来たことを報告しており、今日は彼氏と会うから父に適当に部活で遅くなるって言っといてとお願いしたりしていました。

 

元彼からは毎日のように絵文字混じりの小文字混じりの(〜〜だょ みたいな)恋愛系の歌の歌詞が添えられの重い重い長文メールで、

メールもそんなにしない(親に監視されているため)、絵文字も使わない私にはかなりストレスでした。

頼んでも無いのに私の帰宅時間まで駅で待機していたらしく、

気付かずに駅から出ようとしたら後ろか名前を呼ばれて「来ちゃった💓」と言われた時はドン引きしました。

 

ある日、いつものように母親に今日も会うから遅くなると伝え、家に帰ると母が出て来て、

「部活で遅くなるからって言っておいたからね」と言われました。

そのまま父の元へ帰宅したことを伝えに行くと…

 

「嘘つけ!!今までどこに誰とおったんや!!!」と箸を投げつけられました。

 

ここから悲劇の始まりです。

当然、嘘をついていた私が悪いのですが…

案の定「でてけ!!」と怒鳴られ、共犯だと言われた母と家を出ました。

 

家を出て行くと言っても、母がまだ中学生と小学生の下の兄弟のことが心配なので、

あまり家から離れたく無い、時間が経ったら父のほとぼりも冷めるだろうということで、

家の車庫の一角に4畳ほどの物置があったので、そこで暫く生活する事になりました。

当然携帯も取り上げられ、誰とも連絡が取れなかったのですが、当時は夏休みだったので

部活には顔を出すようにしていました。

そこで約2週間ほど過ごしたと思います。

物置にいる時は感情もなく動く気力もなく、ただ寝っ転がっていました。

トイレも家の中には入れませんから、5分ほど歩いた所にある公園へ済ませなければならず、

あんな汚い公園のトイレへ行くくらいなら我慢して他方がましだと思い、1日3回もトイレへ

行かなかったと思います。

 

2週間ほど経ってそろそろ良いだろうと思ったので、父と話をするため、

家の中で父の帰宅を母と待っていました。

父が帰ってきて「おかえりなさい」と言いに行くと、

「なんで勝手に部屋入ってるんじゃ!!!お前らの家ちゃうぞ!!出て行け!!」

と、リビングにあった椅子を持ち上げ私に向かって投げようとしました。

 

 

この時、本当に殺されると思いました。こいつ狂ってる、人間じゃ無い、と。

投げられはしなかったものの、私はその出来事を今も忘れることができません。

昔からよく叩かれたり、箸を投げつけられたことはありましたが、

あんな大きい物をふりかざされるなんて思ってもなかったからです。

 

しかも、こんな小さな嘘ごときで…

最初は私のせいで母も巻き込んでしまって、なんて悪いことをしたんだ…と思っていた私ですが、

私の周り友達は私みたいに嘘をついてもこんな風に咎められたりしていないのに、

どうして私だけこんなことされなきゃいけないの?と、

段々怒りや悔しさがこみ上げて来ました。

 

しかし、無力な母と私は仕方なくまた家を出ました。

 

続く…