それって「毒親」なんじゃない?

これが毒親育ちの全てです

年末年始の地獄

 

 

明けましておめでとうございます。

 

何で日本は新年になったらおめでとうという習慣がついてるんでしょうか。

お正月って、家族や大切な人過ごす一大イベントみたいになってますよね。

当然我が家も当たり前のごとく年末から年明けは絶対家族と過ごさなければならない期間で、

(別にイベントに限らず我が家のルールでは休みの日は家族と過ごさなければならないんですが)

私にとっては毎年地獄の時間です。

 

私の家ではこれが普通なんですが、ごく一般の家庭事情がわからないので、私が思う年末年始の地獄4つを書いて行きます。

 

その1は大掃除。

毎年年末は家族が大集合し、家の大掃除をします。

普段はしない台所や洗面所、電球、窓、トイレ、庭、車、玄関など、全員が雑巾と水の入ったバケツ、ブラシを持って、それぞれ割り振られた自分の担当箇所を掃除します。

絶対権力を持つ父がそれぞれの担当している箇所を隅々までチェックし、角に埃がたまっていたりすると「あかん!やりなおしや!」とだけ言われ、やり直しをします。

 

また、今年はありませんでしたが、最近までは大掃除の日の夕食時、誰が一番掃除を頑張ったか順位付けをされます。特にビリだからと言って罰があるわけでもないですが、ビリになった人は間も無く父からネチネチと「お前は普段から不潔やねん、部屋掃除するよりお前自身を掃除してもらった方がええんちゃうか」「他の子はこんなにしてるのにお前は何してもあかんな」など、いびりの対象になります。

 

その2はテレビ特番

普段からテレビの決定権は父が握っています。子供部屋にテレビを置くことを一切許さなかったのでリビングでしかテレビが見れず、父が見たい番組があれば有無を言わさずチャンネルを変えられるので、

みんながガキ使などで盛り上がっている中、私たち子供は自室にこもります。ビデオ録画でさえ、録画のランプが光っているのを見つけると「誰や録画してるん!!何撮ってるんや!!またしょうもないもの撮りやがって!!」と怒鳴られるので誰も録画していません。なので友達との会話でも「ガキ使?え、何それ」と全くついて行けませんでした。

 

その3は年始のご飯

1月1日は母が作ったおせちとお雑煮と、お餅を焼いてみんなで食べます。その前に、朝早く集まってみんなが揃ったところで一人一人今年の抱負を話します。それについて父が一人ずつコメントをつけます。本当無駄な時間。

そして、父はお餅になぜか物凄くこだわり、形、色、かたさなどが気に食わないととんでもなく怒鳴りだします。また怒鳴られる…とびくびくしながら母が焼くので結局失敗し、案の定怒鳴り散らし、箸をぶん投げます。大人気ない。みんな「またか…」と思いながら無言で食べ進めます。

最悪な空気この上ないです。

 

その4は初詣。

毎年父がどこへ行くか決め、お昼ご飯もその近辺でたべます。

父が決めて、を正確に言うと、誰かにどこ行きたい?何食べたい?と聞いてみんな別にどこでもいいしむしろ出かけたくないのでう〜んって曖昧な返事をすると、父が「なんやその返事は!お前は夜ご飯なし!!」と言われるので、適当なところを挙げるのですが、結局「そこは〇〇やからあかん、こっちにする」「今日はそう言う気分じゃない、これを食べる」と必ずいちゃもんつけて最終的に父が決める、なんですけどね。行きたいところ、食べたいところがあるなら最初から言えばいいのに…とても面倒臭いやり取りです。

 

もっと嫌なとは細かいものを含めたら数え切れないほどありますが、それ以上にこの4つが地獄で…

皆様は年末年始どのようにお過ごしでしょうか。

皆様にとって少しでも素敵な時間が多くなる年でありますように。

 

子供の手懐け方


私の父は、子供のしつけとしてよく家を追い出します。


私は今まで数えられないくらい家を追い出されました。

一番古い記憶で幼稚園の時。


何で怒られたのかはわからないけど、妹と二人で怒られました。その時覚えてる光景は、私と妹は無理やり上着を着せられ、靴を履かされ、布団を持たされていました。


もちろん私も妹も、家を追い出されたくない一心でギャーギャー泣きました。

しかし、当時からプライドが高かった私は、自分からは絶対に頭を下げたくありませんでした。甘え上手な妹は、私を置いて父に泣きついてごめんなさいと言っていました。私は呆然とそれを見ていました。


父が求めていたのは妹のような謝罪だったのだと思います。家を追い出そうとすることで、家を追い出されたらもちろん生きていけるはずもない私たち子供は泣きついて謝罪し、もう絶対にしません だから許してください 家にいさせてください と言うのです。

そして父は せやろ、お父さんの言う通りにすれば何不自由なく生活できるんや と優越感に浸るのです。


そしてこのやり方は何十年も続いていくのです。


当時、妹の謝罪の後父が私に向かって「なんで妹のが早く謝りに来て紐乃は謝らないんだ。年上から謝るもんやろ」とまた怒りました。


年上が先に謝る、ということは納得いくのですが、謝り方が納得いかないと当時も感じたから、絶対に何が何でも謝りたくなかったのではないかなと今になって思いますが、これはエゴでしょうか。


一番古い家を追い出された記憶は今書いたものですが、幼稚園だったか小学校低学年だったか、その時も家を追い出され、私も堂々と出て行った記憶があります。そのとき熱中していた縄跳びを持って。19時くらいだったので、流石に父が追いかけてきました。


幼稚園の時からしょっちゅうベランダに鍵をかけられて締め出されたり、物置小屋に入れられたりしました。


つい最近までこのやり方で子供をしつけていました。


うちみたいな毒親は自分がいないと子供が生活できないと思い込んでいます。それを利用してあえて子供を追い出そうとするんですよね。ずっと子供が自立できないものだと思ってるんです。今もなおです。


いい加減、その方法でしか子供をつなぎとめれないという悲しい現実に気がついて欲しいです。


少しでも環境に良い変化がありますように。


それって「毒親」なんじゃない?



初めまして。干物紐乃です。

私は毒親育ちです。


親から束縛され、精神的に追い詰められ、自由がない生活を送っています。


昔から「うちの親は厳しい」とは思っていましたが、成長するにつれ、ただ厳しいだけではないんじゃないかと違和感を覚えるようになりました。違和感はあるのに「うちの親は厳しい」以外に親のことを表現する言葉を知らなかった。毒親という言葉を知ったのは、干物紐乃ツイッターアカウントを使ってからです。元々は就活アカウントとして作ったのですが、就活時にも私の両親が口出しをして来てうんざりしていた時にTLに毒親についてのツイートを見ました。そこから毒親について調べていくと、ほとんど全てが私の父に当てはまりました。今まで「厳しい」という言葉にモヤモヤを感じていたのが、しっくり来るようになりました。


毒親という表現を手に入れても生活自体が良くなるわけではありません。しかし、私は「毒親」という言葉から同じように親に苦しんで育ってきた方や未だ悩まれている方とツイッター上で知り合うことが出来ました。


今まで友達からのお誘いを断る時も「親が厳しいから…」と言っていたけど、「本当に干物ちゃんのお父さんは厳しいね」「なんでそんなに厳しいの?」「そんなこと親の許可いるの?」ともちろん理解してもらえることなんてありませんでした。


でもツイッターのフォロワーさん達は私の苦しみをわかってくれました。


私の苦しみを初めてわかってくれる人が出来ました。


私は毒親にされてきた自分の体験をいつかブログに書こうとずっと思ってきたけど、当時のことを思い出すとエネルギーが吸い取られなかなか書きおこす気持ちになりませんでした。


だけど、私のように悩んでる方に、一人じゃないと知ってほしい。絶対にその苦しみをわかってくれる人がいます。


こんな苦しみがない人にも、こういう家庭があるんだっていうのを少しでも知ってもらいたいです。



書くモチベーションが下がらないように殴り書きしました。


私はまだ生きづらい。いつか自分の意思で生きれますように。時々ここで発散したいと思います。