それって「毒親」なんじゃない?

これが毒親育ちの全てです

大学をも困らせる親

 

こんにちは。干物紐乃です。

またまた三連休ですね。(またまた私は二連休)

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

友達や家族と過ごされている方、1人のんびり過ごされている方。誰かとの時間を共有するのも自分のために時間を使ってあげるのも、いいリフレッシュになってることを願います。

お仕事の方、本当にお疲れ様です。

私は前職では世間の連休は必ず出勤でしたので、家族連れや友達やカップルで楽しそうにしている人を見るのが苦痛でした。休憩時間や会社が終わってからはゆっくり休んで疲れが取れますように。

 

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前回は私が家出した時の母の態度への疑問を書きました。

今回は家出のきっかけとなった学費のお話です。

 

 

私が家出をしていた時期が、丁度大学の前期の学費支払い期限で、そのことでも親と揉めていました。

そもそも家出をする時に親と揉めた内容が、勉強を疎かにして部活ばっかり気を取られている奴に学費を支払う義務はないという所から、前々から部活に対して不満を持っていた父と、単位も進学できないほど落としてるわけでもないし好きで続けていることを「親のせいで」思うように出来ない不満を抱えていた私がぶつかり今回の家出に繋がりました。

 

 

家を出たことでもちろん父は怒りが収まらず、学費なんて払う気はありません。

家にも大学から納期が過ぎているので早く支払うようにと注意勧告の手紙が来ていましたが、それを父が「娘には大学へ行かせる意味がないのでこの手紙は必要ない。なので送り返す。ちなみにこの手紙は私が開けたのではなく下の娘が誤って開けた」と言い訳をこじつけた感満載の自筆手紙と共に大学へ送り返し、私は学生課から普段絶対入らないような暗い個室に呼び出されました。

 

こんな手紙を送られたことは今までにない、仲直りしろとは言わないが、お父さんがダメならお母さんにお願いするか、誰か親戚に頼れる人はいないのか。期限は少し待ってあげるから、工面できる目処が立てばすぐ連絡が欲しいと話されました。

 

自分の親として本当に情けないし、普段から嘘をつくなと子供に叱っていたくせに、全く関係のない妹を言い訳にして嘘をついたことが本当に許せませんでした。

 

 

工面と言っても学生の私にとって急に100万以上のお金を用意することもできず、父に今更頭を下げたところで今までのような自由のない日々には戻りたくない。

私は仕方なく母にお願いすることにしました。

しかし、母に電話やメールで何度もお願いしましたが、「私は絶対に払わないし払えない。どうしてもすぐに支払って欲しければお父さんに頭を下げてお願いしなさい。あなたもそろそろ貯金も無くなってきて生活も苦しいでしょう。早く戻ってきなさい」の一点張り。

 

ここでの払えないとは、金額的に払えないのではなく、父にバレた時になんて言えばわからない、バレたことで父に怒られるのが怖いから払えないという意味であるとすぐに察しました。

 

だろうなとは思っていたものの、やはり母に依存していたのか、当時の私は相当ショックを受けました。

 

 

とっくの昔に一人暮らしをしている兄にも相談しましたが、そんな金額払えるわけもないし、ここはお前が我慢して、学生の間は面倒見てもらうべきだと言われました。

今考えるとごもっともな意見を言ってくれていたのですが、絶対に父の言う通りにしたくないというプライドがありました。また、兄は早く一人暮らしを始めていたおかげで大学生活も親に干渉されることなく楽しそうに送っていたのを知っていたので、親のせいでやりたい事もできずにめちゃくちゃにされたことない人間に親のところへ戻れなんて、苦労してないから言えるんだ!となんの関係もない兄にさえ怒りを覚えました。

それくらい当時の私は妬み、嫉み、怒りがごちゃ混ぜの感情になっていました。

 

 

こうなると頼れる人なんていない。

 

 

私は少しだけでも工面せねば…と思い、今すぐお金を借りられて審査も緩いところで…と頭が悪いなりに考えた結果、学生ローンにお金を借りることにしました。

 

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思い出そうとすると、あんな事もあった、これも書きたいと後からどんどん出てきて時系列がバラバラになっていると思います。

思い出したくなかったことをそのままそっとしておく事もできますが、こんな事もあった、だから私は今も家族関係の話になると心が痛むんだという事実を放っておいても、なかなか自分が変わることができません。

 

自分の過去を受け止め、自分を認めてあげられるのは自分しかいないので、ようやく過去と対面しようという気になれました。

まだまだ時間はかかりますが、全てを書き終えた時には何か変化がありますように。

 

本当の母

 

 

こんにちは。干物紐乃です。

世間では三連休ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか?私は二連休だったのですが、友達が少ないので誰とも会わず終わりそうです。なのでずっと家でぐうたらしたり、注文していたwifiが届き設定してみたり、ひたすら引きこもってました。

連休になると、「誰かと一緒に過ごさなきゃ負け組」「せっかくの休みにぼっちなんて寂しい」と自分で自分を可哀想な子と決めつけて余計寂しさで締め付けていました。

でも普段社会になんとか紛れて人と接しているので、休みの日くらい引きこもって充電するのも良いですよね。

私は私らしく連休を過ごしています。みなさんも自分らしく、無理のないよう過ごしてくださいね。

 

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今日は母のお話です。

 

周りの友達の親事情を聞くと、父親がわりと大人しめであまり怒ったり口出しをせず、母親の方が厳しい、怖いという家庭が多いように思います。

私の家は真逆で、父のいうことが絶対。母は父のうしろについて行く昭和タイプの両親でした。

 

 

ついて行く=陰ながら支える

 

 

という印象ですが、私の母は父に怯え、父の言う通りにしないと何されるかわからない余計な被害を増やすより言う通りに動いて事なきを得たいという感じでした。

 

昔から勉強や部活、友達関係で母に聞いて欲しくこんなことがあってね、こう思うんだけどお母さんはどう思う?と質問しても「ん〜わかんない」「私じゃ答えられないからお父さんに聞いて」「私に聞かないで」とはぐらかされていました。お母さんに聞いて欲しかったのにいつもまともに聞こうとしてくれない母を不満に思っていました。

 

大学に入ってから「部活で先発メンバーに選ばれたよ!」と母に報告した時、いつもみたいにふーんと流されてしまい、とても寂しかったのをよく覚えています。一緒に喜んで欲しかったのに何故興味無さそうにするのか尋ねたら、「だって別にそれで生活して行くわけじゃないんでしょ?」と目を合わせず言いました。

それはそうだけど…じゃあ人生に必要のないことは喜んではいけないの?やっている意味がないの?私は何処にもぶつけられない寂しさと怒りで1人布団に篭り静かに泣きました。

 

本当に私のことに興味がなかったのか、父が私の部活に猛反対していたので父に聞かれるのが嫌でそんな事を言ったのか今でもわかりません。

 

しかし、自分が思っている以上に母は冷酷で、自分が損をするか得をするかで考えていると知ったのは大学時に家出をしてからです。

 

前回の話で、父が仕事に行く時間を見計らって家に入り服を取りに行ったり洗濯物をしていたと書きました。その時パートに行ったと思っていた母が家におり、鉢合わせてしまいました。私の事を見た母は

何勝手に戻ってきてるの?それじゃあ家を出した意味がないじゃない。甘いんじゃないの?

と言い放ちました。

父ではなく母にこんな事を言われるとは思わず、ショックであり悲しくもあり悔しくもあり…何も言い返せず黙々と再び家を出る準備を進めました。

今までは父に怒られる時は母も一緒になって追い出されたり、私を庇ってくれた事も多くありました。今回は今までと違う。母も父の仲間なんだ。

 

母も敵なんだと認識しました。

 

この後、如実に母の本性が現れてきます。

 

 

 

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毒親で検索すると「毒母」という言葉が多くヒットします。母親と関わる機会が多く、母親と自分が癒着した関係になってしまうのでしょうか。

私も気付かぬうちに、母に依存していたのだと思います。だから「母だけは絶対自分の味方だと思っていたのに」という裏切られたショックが大きかったのだと思います。

親子関係というのは本当に難しい。人類の永遠のテーマでしょうか。

 

少しでも同じ悩みを持つ方が救われますように。

 

ホームレス生活

 

 

こんにちは。干物紐乃です。

今日からは前々回に引き続き、私の過去について自分と向き合いながら書いていきたいと思います。

 

 

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Dちゃんは私が朝早くに家を出るとき、

「今日はどうするの?一泊で大丈夫なの?」

と声をかけてくれました。

私は「全然大丈夫じゃないの、これから泊まるところを探さないといけないし、どこにいけばいいのかもわからない、お金も全然ないし、どうしたらいいんだろう、暫く泊めさせて貰えないかな」と言いたいところを耐えて「大丈夫!今日は家に帰るから!本当にありがとね!」と元気にDちゃんの家を後にしました。

 

 

いくら携帯を確認しても親からの連絡なんてあるわけもなく、少しでも何処に泊まってるかとかご飯は食べてるのかとか思ってくれてるのかなと期待していた自分が馬鹿だったと、余計悲しくなりました。

 

 

この後も一人暮らしをしている知り合いの子に事情を説明し家に泊まらせて貰えないかと必死に連絡しました。

 

本当にありがたい事に、私の急な連絡にも関わらず快く受け入れてくれたり、私が家出しているという噂を聞き、わざわざ私に「泊まる所が無かったらいつでもうちの家来てよ!」と連絡してくれた子もいました。この時ほど友達に感謝したことは今までにありません。私だったらこんなにすんなりと受け止められただろうか。

どれだけ迷惑をかけたか。

 

本当に、本当に、ありがとう。

 

 

友達が予定があり泊まる場所がなかった時は実家の近くのネカフェで寝泊まりか、マックでホームレスと同じように寝ながら朝まで過ごし、朝父が仕事へ行ったであろう時間を予測してこっそり家に戻りシャワーを浴びて着替えをしたり、洗濯をしたりするコソコソした生活をしていました。

 

ネカフェは防犯の関係で天井が隣部屋とつながっており、ドアも上部が透明で中が見えるようになっていました。隣の部屋から男性の如何わしい音が聞こえてきたり、透明な部分から男性2人が中を覗いてきて目が合った時は本当に怖かった。怖さで睡眠も十分取れず、毎日寝不足でした。

 

 

家出をして3日後、母からいつ戻ってくるのか、早く父に謝りに来なさいというメールがありました。

 

 

 

無視しました。

 

 

 

悲しい。悔しい。誰からも心配して貰えない。

私は本当にこの親から生まれたのか。

 

私がどこで何してようが、みんなには関係ないんだ…

 

この時は色々な感情で頭が混乱していました。

ここから徐々に「親」というものに疑問が浮かぶようになりました。

 

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かれこれ4年ほど月日は経ちますが、まだ過去を振り返ると当時の辛かった記憶が呼び戻され、心が締め付けられるような痛みが走ります。

当時の私のように毎日親に悩まされ苦しんでいる方が、少しでも救われますように。

 

 

 

【近況】約一年の月日を経て

 

こんにちは。干物紐乃です。

 

お久しぶりです。

前回の更新から約一年が経ちました。

この一年間、気持ちの浮き沈みが激しく、何回もブログを開いては閉じを繰り返し、気持ちの整理がつかず何を書けば良いのかわからないまま、時間が過ぎてしまいました。

 

 

ですが半年前、私には大きな変化が起こりました。

 

 

 

 

一人暮らしを始めました。

 

 

 

 

今年の3月に一人暮らしを始め、約半年が経ちました。私にこんな日がやってくるとは思ってもみませんでした。一人暮らしを始めてからの毎日はあっという間で、実家にいた頃が嘘のように心が穏やかです。

 

決定的に違うのは、

  • 自分の事だけを考えられる
  • 自分の判断で決められる
  • 好きなものに囲まれている
  • 義務感からの解放

 

です。

 

引っ越してからは思いっきり自分を労ってあげようと決めていました。

 

自分好みの家具を集めて自分だけの部屋にしたい。

今まで見れなかった分思う存分テレビ番組やDVDを見たい。

好きな香りの柔軟剤で洗いたい。

自分の好きなものだけを食べていたい。

友達を家に呼びたい。

好きな時間に時間を気にせず出かけたい。

夜にコンビニへ行きたい。

休みの日は誰からも起こされることなく、自然に目覚めたい。

 

今、全て叶えることができました。

人によっては「そんなこと?(笑)」「今までやろうと思えばできたことじゃん」と思う方もいるかもしれませんが、私には全てが初めてのことで、やっと人間らしく「生きてる」と実感しました。

 

 

それだけ楽しく生活してるってことは、父と縁を切れたってこと?

 

 

残念ながらそうではありません。今回の私の一人暮らしは、皮肉にも父が決めたことでした。

 

 

「お前は人間として甘すぎる。自分が可愛いすぎて嫌なことがあると全部人のせいにする。それは誰かに依存しているということだ。お前は親に依存しすぎている。1人で生きることの大変さを学んで自立しろ」

 

 

依存?

確かに

「お父さんに怒られる」

「お父さんに許してもらえない」

「お父さんはなんて思うかな」

という強迫観念のようなものが付き纏っていたと思います。強迫観念ではあるけどこれは依存なのか、寧ろ父の方が私に依存していたと思うし、私が実家を出た後も父は私に依存していると思います。

 

 

しかし、依存がどうあれ、やっと自分にも一人暮らしができる兆しが見えた!しかも父の方から提案してくれるなんて…!と、話を聞いた私は喜ばずにいられませんでした。

 

 

そういうことで、今も父とは縁を切らずにはいますが、少し距離を置くことができました。

 

引っ越した当日の夜、今までどんなに苦しかったか、どんなに人生から逃げたかったか、逃げなくてよかった、今まで本当によく頑張ったねと自分を励ましながら苦しかった過去を思い出し泣いてしまいました。

 

一番辛い時に私に温かい声を掛けてくれたツイッターのフォロワーさん、唯一近親者で理解のあるおばあちゃん、なんて言葉に表していいかわからないほど、感謝しています。本当にありがとうございます。

 

全てが自由になったわけではなく、ようやく私の人生がスタートした所です。人より何年も遅れましたが、今が人生の青春だと思っています。一人暮らしを始めて、あぁこれは「毒親」の影響を受けていたんだなと再度確認することもできました。

 

まだまだ私も「毒親」に悩まされているアダルトチルドレンです。

 

私が以前毒親ブログを読んで「こんな風に親に苦しんでいるのって自分だけじゃなかったんだ」と思った時と同じように、少しでも親に悩んでいて孤独を感じている方に、1人じゃないよと伝えてあげられるような存在になりたい。

 

 

少しでも多くの人が心休まりますように。

 

 

優しい光が差し込んだ瞬間

 

 

こんにちは。干物紐乃です。

最近寒日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしですか。

干物ちゃんは、悪天候からか、なかなか気分も晴れません。

そして本日も朝から父と怒鳴りあいの喧嘩をしたのでさらに気が滅入ってしまいました。

私の唯一素が出せるこの場を借りてストレス発散させて下さい…

 

 

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前回の続き

 

家を飛び出した私は、同じ部活の一人暮らしをしているDちゃんに連絡を取り、1日泊めてもらえないかとお願いをしました。

Dちゃんは私のせっぱ詰まった様子を読み取ってくれて、事情も聞かず快く私を迎えてくれました。バイト後のDちゃんと合流し、一緒に夜ご飯を食べて一緒にテレビを見て笑って、お風呂も用意してくれて、私用に布団も出してくれて…寝るスペースを分けてくれるだけも有難いことなのに、温かく接してくれました。

 

電気の明かりを消した時、今まで何も聞かなかったDちゃんが優しく「なんかあったの?」と聞いてくれました。

 

親が私のすることをことごとく否定してきて、部活もやめろって言ってきて、挙げ句の果てに大学を辞めさせて部活に行かせないようにしてくるし、私は普段も遊びのお誘いを断ったり一人だけ早く帰ったりずっと我慢してるのに、お前は何一つ義務を果たさないって言われて人格も否定されて精神的に追い詰められて、それでそれで…

 

 

 

 

話したいことがどっと湧いてきて、でもどれも言葉にならずに涙だけがボロボロと出てきました。

涙が止まらない私に、「何かあったらいつでも来ていいから。いつも一人だし来てくれて嬉しいよ!」と声を掛けてくれました。

その言葉でさらに私はDちゃんに対する温かさと優しさと有り難さと、申し訳なさを痛感しました。

 

 

Dちゃんの優しさはそれだけではなく、次の日バイトが早朝にある私のために、

私より早く起きてフレンチトーストを焼いてくれたのです。朝から泣きそなのを堪えて、じっくり味わいながら頂きました。

 

朝ごはんなんて母は父のぶんしか作らず、子供はみんな、勝手に食パン食べてなさいと言われてたのに…突然のお願いに困惑したはずなのに、私に嫌な顔も見せず明るく迎え入れてくれた…

 

 

この世界に、私の身近に、こんなに優しい世界があったんだ。

 

私はDちゃんの家にいた数時間、親のことや自分のされたことを忘れさせてくれるほどの優しさに包まれてDちゃんの家を後にしました。

 

 

私も友人が困っていたら、できるだけ救いたい、なんかしてあげたい、と思わせてくれたDちゃん。

この後も何度も助けられました。

彼女の一つ一つの気遣い、今も尊敬しています。

本当にありがとう。

 

 

勉強で結果を出すことが全て

 

 

こんにちは、干物紐乃です。

みなさんいかがお過ごしですか。

 

私は今日お休みだったのですが、いつも通り家に引きこもっていました。

あまりにも暇だったので部屋の掃除をしていたら昔のiPhoneが出てきたので恐る恐る充電をして見てみました。

 

 

見てしまったんです。

 

 

何度も何度も逃げてきました。こうやって見てしまったからにはそろそろ見つめ直さないといけない時がきたのかもしれません。

 

 

私が見てしまったのは、大学3年のちょうど今の時期、両親から家を追い出されて学費も支払ってもらえず、約3ヶ月ネカフェや友達の家を転々とし、その後1年間一人暮らしをしていた時にやり取りしていた親とのメール。

 

親への曖昧な不信感が確信に変わった時でした。

 

そして今の私のすべてのトラウマとなった出来事でした。私はこの時の出来事を2年以上たった今も忘れることができず、自分自身と大好きな妹弟、父の妹であるおばちゃん、父の母である私のおばあちゃんを傷つけ迷惑をかけてしまいました。

しかし自分にとっては人生における最大の出来事でも、「あの時はお前がひねくれてたからなぁ!今なら笑い話にできるやろ?出来なかったらまだ成長してへん証拠やで!!」と、無理やり笑い話に変えようとしてきました。

私にはそれが許せなかった。これは無かったことにしてはいけないんだ、という思いから文章にしようとずっと思っていました。しようと思いながら向き合うのが怖くて怖くて逃げてました。

 

 

私が家を追い出されることになったきっかけ。

私は部活に入っており、有難いことに部活内の選抜メンバーになったりしました。

毎日部活漬けで授業を受け終わったら練習、家に帰ってもイメトレ、大学でも部活の仲間と多くの時間を過ごしました。

日々の練習は基本夜行います。ただでさえ外出や門限にうるさい父とぶつからないということはあり得ませんでした。何度も部活に行く時間を減らせとか、部活に行くなら大学を辞めろ、そうすればお前は部活にいけなくなるとか、付き合う友達を変えろ、そんな友達がいるからそういう生活になるんだとか、口うるさく言われずっと抵抗してきました。

部活に熱中してしまったせいで、大学の単位はいつも落単ギリギリ。評価もAは殆どありませんでした。卒業さえできればいいと思っていたので、あまり重要視していませんでした。

 

そんなある日、私の前期の成績を見た父に呼び出され、こんな成績だとお前はどこにも就職出来ない、今すぐ部活を辞めろと話をされました。私は黙っていました。またこの話かと。

そのまま父は今のゼミや専門教科で習っている内容を今話してみろと言われました。私は普段授業なんかぼーっと受けて、テスト直前に夜も寝ずに脳みそに無理やり詰め込むタイプの人間でしたので、何も喋れませんでした。

 

これが父の地雷を踏んでしまったのです。

 

「なんで黙ったままやねん!!何にも話せないくらい勉強してへんってことやな!?もうあかん、大学に行く本当の意味がわかってない奴に金払ってまで通わせる意味は無い!!出ていけ!!」

 

私は、今まで一生懸命にやってきたことを父に奪われるくらいならこんな親と一緒にいたくない、お金や住むところに苦しんだって一人で生きていったほうがずっとましだ、こんな所、自分から出てってやる、と思い勢いよく自分の部屋に戻りました。それと同時に勉強で成果をだすことでしか父に認めてもらえないことがとても悲しく、辛くなりました。

 

 

そして、私と父のやり取りを見ていた母が

 

はい、適当に着替え詰めといたから

 

旅行用の大きい手持ち鞄に私の下着や着替えを詰めて、ドスンと目の前に置いていきました。

 

私は信じられませんでした。あぁ、この家では父のいうことが絶対で、それに刃向かうと罰せられるのか。母についてきて欲しかったわけではないけど、母ってこんなにも薄情なものなのか。どこへ泊まるかくらい聞いてくれるかと思ってた。

 

こんな家に絶対戻らない。一人で生きていくんだ。

 

涙ぐみながら、18時頃、私は実家を出ました。

 

 

 

 

 

まだまだ序の口ですが、気が向いた時に続きを書いて行きたいと思います。

未来の自分がこのブログを読んで、こんな辛かったことがあったけど今は幸せだよと笑って過ごせてますように。

 

 

脱ニートは出来ても脱毒親は出来ない

 

お久しぶりです。干物紐乃です。

みなさんいかがお過ごしですか。

つい先日まで暑かったのに9月に入った瞬間急に肌寒くなってきましたね。

今日は雨のせいか朝からひやっとしたので薄手のニットを引っ張り出しました。

風邪やインフルエンザなどのウイルスには気をつけてくださいね。

 

近況といえば、ちょうど3ヶ月のニート期間を経て、先月再就職をしました。

前職と似ている業種で接客をしています。

ただ、前職と大きく違うところは、接客ですが日曜・祝日のお休みが確保されていることと、お盆と年末年始に約1週間の連休がもらえる点です。

サービス業の中では珍しいのではないかと思います。求人を見つけた瞬間すぐに書類応募して面接をして貰えました。面接官も親戚のおっちゃんのような温かい雰囲気でリラックス出来、無事内定をいただけました。入社してちょうど1ヶ月が経ちます。

 

前職と似ている業種ということや女職場ということもあって、初めはだいぶ警戒していました。

しかし、研修中の講師や配属先の店長がとても気さくでわからないこともすぐに聞ける雰囲気だったので、今の所人間関係ではほぼ悩みがありません。(ほぼ同時期に入社した同い年の子は、店長がネチネチ系嫌味女で先輩にすごく当たるらしく、見ているのが辛いと言っていたので、店舗によりけりです。ほぼ同期の他のメンバーもこの会社は前職に比べてまともという意見が多かったです。)

 

ただ一つ厳しいなと思う点は、まとまった休憩が取れない所です。

店舗的にはうれしい悲鳴ですが、お客さんが一日中出入りするので、座れる時間がほとんどありません。お昼もお客さんが来るまでの15分で急いで胃袋に入れるように食べます。

通勤退勤の合わせて2時間強も満員電車で一駅も座れないことが多く、足の裏がジンジン痛みます。

他の店舗よりかなり忙しいみたいなので、早く仕事を覚えられる気はしますけどね…

入社3ヶ月は研修期間のため残業はしないように早く帰らされますが、期間が終わったらと思うと今から少し不安です。でもみんな良い人(今の所)なので、なんとか続けられそうです。

 

お休みも日祝プラス平日何日か貰えるので友達とも予定が合わせられる!と浮かれて予定を入れてたら、お待たせしました、

 

父の登場です。

 

お前仕事が見つかったからって浮かれてるんか知らんけど予定入れ過ぎちゃうか!?家のこと全くやる気無いやろ!!あんまりそんなんが続くとずっと晩御飯抜きにするで!!!

 

…むしろそうしてください!!!!!!の一言に尽きます。

 

父は本当に言うことが矛盾していて、私がニートの時に遊びの予定を入れると、

プー太郎のくせに遊び過ぎやろ!!!就活はしてるんか!?だらけ過ぎちゃうか!?」とお叱りを受けました。

 

いやいやプー太郎してる間これでもかってくらい毎日晩御飯作らされて掃除洗濯アイロンがけ食器洗いゴミ捨てはもちろん父の私用まで全てこなしましたけど…お駄賃欲しいくらいですが…

 

つい先日も、父の出張が多くたまたま私の外食の日と父の帰宅する日が重なってしまうことが何度かあり、

 

流石に俺の帰る日と予定合わせ過ぎちゃうか??わざとやってるんか?ご飯は作りませんて言う意思表示か?もう少し相手の予定見て考えて入れろや

と言われた時は、結局何にでも文句言うんじゃねえかと腹を立てました。(心の中で)

 

父は自分が無趣味であんな性格だから友達も少なく遊びに行くことが少ないため、誰かが気軽にひょひょいっと遊びに行くことと、自分の都合よく動かせるコマがそばにないことに嫉妬するんでしょうね。

 何とも哀れだなぁと思います。そんな風に思う価値もないとお思いますが…(私が一番の被害者なので)

父のことを反面教師として生きたいけれども随所で父と同じことしてる…と気づくと悲しくなります。

 

今の父とおんなじくらいの歳まで私がまだ生きているとしたら、もっと自分のために楽しく生活できていますように。